月別アーカイブ: 2020年3月

終了式の日に…(桐蔭生の皆さんへ)

今朝、とあるラジオ番組を聴くともなく聴いていたところ、Creedence Clearwater Revival(以下、CCR) というバンドの「Someday never comes」という曲が流れていました。これは1972年にリリースされた曲ですので、当時小学校に入学したばかりの私(岡田)が同時代的に知っていたわけではありません。高学年になって洋楽(ロック)に目覚め、中学に入学してしばらく経ったころCCRというバンドを知り、カントリーロック調のこの曲が大変気に入ったという、いわば「後追い」でした。

当時はあまり意識していなかったのですが、この曲は歌詞が魅力的であることに改めて気づきました。

First thing I remember was askin’ papa,

“Why?”,

For there were many things I didn’t know.

And Daddy always smiled;took me by the hand,

Sayin’,”Someday you’ll understand.”

知らないことがたくさんあった自分が、父親に「どうして?」と尋ねると、「いつかお前もわかるようになるさ」と答えてくれた、という(おそらく)少年時代の記憶で始まるこの曲は、サビの部分で

You better learn it fast;you better learn it young,

‘Cause, “Someday” Never Comes.

との印象的なフレーズが何度も繰り返されます。「若いうちに学んだ方が良い。なぜなら『いつか』なんて絶対にやってこないから」といったところでしょうか。

ふり返れば、少年時代から「いつかは…」と思いながら、結局解決せずにここまで生きてきたことのなんと多いことか。数多くの「いつかなんとかしよう」を抱えて生きている存在、それが私たちなのかもしれません。久しぶりにこの曲に触れ、妙に心に沁みた朝でした。

世界的に先行き不透明な状況が続いています。自由に動き回ることもままならず、何とも形容し難い閉塞感も漂っています。

しかし、必ず出口は見えてきます。

その時、今抱えている「いつかなんとかしよう」を少しでも減らすように行動しませんか。

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本日(3/24 火)は、本来であれば終了式が行われる予定でした。急遽、自宅学習の措置となって3週間あまり。桐蔭生の皆さんが最後に登校した2/29(土)にはまだまだ冬の装いであった学園の桜の木も、今は五分咲きといったところです。

人間世界の閉塞的状況を尻目に、自然は悠々と季節を謳歌しているかのようです。

皆さんと再開できる日を楽しみにしています。

 

自宅学習中の桐蔭生の皆さんへ

3/2(月)から急遽自宅学習期間に入り、10日ほど経ちました。皆さん、どのように過ごしていますか。この間、学校からはClassiやロイロノート、あるいは一斉メールなどを通じ、自主学習のための教材や実施することができなかった学年末考査などを定期的に配信しています。

しかし…

生徒の皆さんがいない学校というのは本当に寂しいものです。やはり学校の主役は生徒たちなのだなあ、と改めて痛感する日々を過ごしています。このような思いに陥ったのは、今から9年前の「あの時」以来。

何とも形容しがたい激しい揺れがようやくおさまった次の瞬間から、私たちが今までに経験したことのない事態が次々に発生しました。首都圏の鉄道がストップし、最寄り駅から徒歩で学校まで戻ってくる生徒たち。その夜は教職員とともに学校で一夜を明かすことに。桐蔭は停電にならなかったのが救いでした。翌朝、何とか交通機関が復旧したことを確認し、解散。その後は無期限の休校措置となったのです。

東北地方を中心とした甚大な津波被害、原子力発電所の事故、計画停電、物資の不足…。いつまでこのような状態が続くのか、まさに「先が見えない不安」に苛まれました。

「先が見えない不安」

━━この一点において、現在の状況は当時とよく似ています。

このような「不安」を解消しうるものは一体何でしょうか。それは科学の力にほかなりません。誤解してほしくないのですが、私は決して科学が万能であるといっているのではありません。東日本大震災では、科学の力を買いかぶってきた私たちの姿を露呈することにもなりました。しかし、皮肉なことに、震災からの復興を果たすために、そして新型ウイルス禍から抜け出すために頼りにすべきもまた科学の力なのです。

震災当時、私は高校2年男子部の学年主任をしていました。徐々に普通の生活に戻りつつあった夏過ぎのこと。ある生徒と他愛もない話をする中で、ふと、といった感じで彼はこう言いました。

「先生、進路決めました。防災の研究をします」

聞けば、震災時「人のために何かしたい」と思いつつも、何ひとつできなかったことが残念で、その時の思いを実現するのが自分の夢になったとのこと。

皆さんが、現在の状況下で「人のために何かしたい」と思ったところで、それは不可能です。「人のために」なるに見合った知識、経験、判断力が備わっていないからです。しかし、それは10代の皆さんとしては当然のことなのです。

大切なことは、現在の状況をしっかりと記憶しておくこと。刻々と変化する事態を現在進行形で把握し、心に刻んでおくことです。そして、今、この瞬間の自分の「思い」を忘れないこと。あの時、自分はどう思っていたのかを胸に焼き付けておくことが大切なのです。

次に震災が起きた時、そして次に新型ウイルス禍が起きた時、私たちが進むべき道を冷静に見極め、指し示すことができるのは、まさに今、この瞬間の「経験」であり、「思い」にほかなりません。

私にとって、震災当時の忘れられない光景とは…

無期限の休校措置が終わり、学年の生徒たちが登校した初日に行った学年集会。犠牲になられた方々に1分間の黙祷を捧げた後、

「皆さん、今どんな気持ちですか?」

と問いかけた時の生徒たちの表情です。先の見えない不安と動揺の中、皆と再会することができた安堵感を滲ませた表情でした。震災前には「当たり前」と信じて疑わなかった平穏な日常が、実は「有り難い」ものであったことを知り、それがようやく戻りつつあることに少しだけ愁眉を開いた表情でした。

皆さんと再会できる日、どんな表情を見せてくれるでしょうか。再会を楽しみにしています。