5/22(金)付の朝日新聞朝刊に、小説家・早見和真さんの寄稿が掲載されています。早見さんは桐蔭学園の卒業生で、高校時代は硬式野球部に所属していました。
デビュー作である『ひゃくはち』は名門高校野球部の補欠部員を主人公としたもので、のちに映画化されました。また、2015年に日本推理作家協会賞を受賞した『イノセント・デイズ』(岡田注:これは本当に面白い! 引き込まれます)はWOWOWでドラマ化されています。
今回の寄稿は、夏の甲子園大会が中止になったことを受け、ご自身の経験をふまえての高校球児、特に三年生へのメッセージとなっています。
早見さんが高校三年生の春、桐蔭学園はセンバツ大会に出場しました。しかし、そのわずか二か月ほど前、阪神淡路大震災が起きていました。甲子園での開催が危ぶまれ、代替地での開催がウワサされるようになると、「そのときになってはじめて僕は自分が『高校野球の全国大会』を目指していたわけじゃないのだと知った」━━甲子園に憧れていたことに気づいたのです。
結果、その年のセンバツ大会は甲子園で開催され、「(甲子園は)補欠の僕にも多くの景色を
見せてくれた」といいます。「だから、球児の甲子園に憧れる気持ちには寄り添えたとしても、それを奪われた人間の思いは代弁できない」「誰も答えめいたものさえ導き出せない出来事にいまの高校三年生は直面しているのだ」。
そして、早見さんは「最後の甲子園に憧れて」いた球児の立場や思いは一人ずつ違うとした上で、「この夏の正解」を「自分の頭でひねり出し、甲子園を失った最後の夏と折り合いをつけてもらいたい」と訴えます。
最後は、野球部に限った話ではなく、「この年に高校三年生だったことの意味を考えて、考えて、考えて、考えて……」「そうして考え抜いた末に導き出す、僕たちには想像もできない新しい言葉をいつか聞かせてほしいと願っています」と結んでいます。
我が意を得たりの心境です。早見さんの引用ばかりになってしまったのはそのためです。
最後の大会を失ってしまった高校三年生たち。彼ら彼女らにどんな言葉をかければよいのか。このような経験をしたことのない私たち現代の大人が、どんな慰めじみた言葉をかけたところで空虚に響くだけでしょう。
以前、桐蔭生へのメッセージ動画でもお話ししましたが、新型ウイルス問題の渦中にいるまさにこの時、自分は何を思ってどう感じているのかを、のちの自分のために胸に焼き付けておくことが大切だと思っています。そして、まさに今、皆さんが考えていること感じていることを、未来の自分のために、そして未来の世界のために活かしてほしいと願っています。
早見さんの寄稿の中で、私にとって最も印象的だった部分━━「どの大人も経験したことのない三年生の夏を過ごすすべての高校生が、十年後、二十年後の社会の真ん中に立ち、新しい言葉と考えを武器に次々と何かを打ち出しているべきだと思っている」━━桐蔭生の皆さんは先輩のこの言葉、どのように受け取りますか。
※早見さんの最新刊『ザ・ロイヤルファミリー』。この時期の読書にいかがですか。