10年前の今日、何とも形容しがたい激しい揺れに見舞われました。そしてようやくそれがおさまった次の瞬間から、私たちがそれまでに経験したことのない事態が次々と発生しました。
首都圏の鉄道がストップし、続々と最寄駅から徒歩で学校まで戻ってくる生徒たち。最終的には600名弱の生徒と130名あまりの教職員が校内で夜を明かしました。幸い停電にはならなかったため、生徒の食事と暖房は無事確保。翌朝は何とか交通機関が復旧したことを確認して解散、ひとまず学校を後にしました。
その後、テレビ等の報道で改めてその惨状に息をのむことになります。東北地方を中心とした甚大な津波被害、避難所の苛酷な状況、物資の不足、原子力発電所の事故…。
震災は中高生にも容赦なく過酷な体験を強いました。
本来であれば、震災翌日の3/12に行われるはずであった気仙沼市立階上中学校の卒業式は10日遅れで挙行されました。そこでの卒業生の答辞に、激しく心を揺さぶられたことを覚えています。
「前日の11日。一足早く渡された思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、10数時間後の卒業式に思いを馳せた友もいたことでしょう。『東日本大震災』と名付けられる天変地異が起こることも知らずに…。(中略)天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。つらくて、悔しくてたまりません。(中略)でも時は確実に流れています。生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません」
衝撃をもって確かに目に焼きつけたはずの光景も、時間とともに確実に薄れていきます。だからこそ記念日を設けて、忘れない努力をすることが必要なのです。それが震災で犠牲になられた方々に報いることにつながるはず。10年という節目にこの日のことを思い起こすとともに、現在の自分の状況をしっかりと見つめることが大切なのだと思います。
「行ってきます」と家を出て「ただいま」と帰ってくる日常が、いかに尊いものであるか──「後輩の皆さん、階上中学校で過ごす『あたりまえ』に思える日々や友達が、如何に貴重なものかを考え、いとおしんで過ごしてください」──先ほどの答辞の一節を噛みしめながら黙とうを捧げたいと思います。